ディザスター~たまには防災にはシビアに取り組むのもいいかもしれない、んにゃ必要【第244回】

目安時間:約 4分

今日は9月9日、救急の日かどうかは知らないが、日本国民誰もが、災害のことは、深刻に受け止めていかねばならない。天災は、どうにもならない、しかし、大概、わからなければならないだろう、地震、台風、火山、いつでもどこにでも来るということを。

過去30年間くらいを振り返ってみても、メディアの弊害も大きいと思う。いや、テレビのおかげで助かってるというのも事実だが、我々が目にするのは災害後の状況を放送で目にするので、情報として、ありがたいと思うのだが、錯覚がそこに生じているのかもしれない…

例えば、気象庁の人がテレビで危機性を訴えても、大半の人が真剣に聞いてない、受け止めていない、そもそも、専門用語の使い分けもわからないし、何を言ってるのか、わからない。となると、気象庁からすれば、もう、それはそっちの勝手でしょ、とボヤきたくなるのかも知れない、しかも、パソコンやスマホでハザードマップまで見れるようにしている、でも多くの人はハザードマップとか知らないか使用をしない。

テレビを見てても避難しないけど、知り合いの、遠方にいる家族からの電話で、事の重大さを知って避難して、命が助かったという話も聞く。

この度の大阪をはじめとする関西圏の台風、北海道の地震、SNSで安否の確認は、即、取れたし、現地の状況も写真や動画が送られてくる。テレビのニュースの映像も、スマホでSNS上にアップされているものが、多く使われている。

つまり、垂れ流しの分からな情報より、身近にいる、信頼をおける知り合いの言葉である。とは言えSNSこそ、嘘まみれの垂れ流しもハンパない。

メディアやSNSも重要だが、自治体における防災リーダー、防災スペシャリストが、ある程度、災害発生前に動くことが必要ではないかと思う。そんな余裕はない、それどころではない、と言っても、これだけ災害立て続けの災害国家なのだから、重要なことと思う。

大阪の台風の時、テレビで大阪からの中継で、強風吹き荒れる中、ニコニコしながらスマホで写真撮ったり、動画撮ったり、自撮りしてる光景が放送されるの見てると、危なっかしくて、複雑な心境になる。

表現の自由というものがあり、こうして私もメルマガを配信しているわけだが、、ユーチューバーたちの、大食いだの、試してみただの、ユーチューバーたちが集ってあれこれいろんなことやっている、そういうの見ると、吐き気がしてくる。もう〜頼むから、やめてほしい、動画をアップする神経も理解できないが、それだけ多くの視聴者がいるというのに理解に苦しむ。これが小学生たちの憧れの職業かと…影響力あるんだから、防災や災害や、日頃からどうしていたらいいのかなどのプチ知識などの動画が、少しはあってもいいんじゃないだろうか。そんなユーチューバー山ほどいるんじゃないかと。災害国家だというのに、大食いとか、食べ比べとか、大金はたいて何買ったとか、マヂどうでもいいからやめてほしい。


『24』 〜たまにはデイトリッパーな 日々もいいかもしれない【第240回】

目安時間:約 4分

第240回、ってことで、サブタイトルは24にして、ジャックバウアーなノリで配信していく。

このスタイルは8/15の第237回の配信と同様のもの。こんなことに巻き込んでしまってすまないと思ってるぅ。
※ジャックバウアー風に

8/23 13:30
朝からの仕事を終える。お盆に日帰りで行ってきた神戸でのこと、母から受けたミッションの結果報告と、母にと預かっていた、お土産を渡すべく、高速道路を使わず、久留米市→小郡市→筑紫野市で、国道3号線に乗る。小郡イオンモールの横を走るが、7月に起きた水害の爪痕は深く、今だに営業再開していない。

16:00
国道3号線を走り、北九州に入り、実家に到着。父の墓参り。母と話す。8/14の日帰り神戸での出来事をスマホの写真を見せる。これは終活に関する話なのだが、実に全然暗くならない。むしろ、具体的に話をしていると、母のテンショはアップ気味になる。家族にとって必要なことだと改めて実感させられる。

母の故郷の島根県隠岐の島のおじさん、おばさんがスマホでLINEができるようになったので、動画電話を試みるも、おじさん、おばさんはまだ、使い方が分からず、電話だけで会話、盛り上がる。

19:30
仕事終えた弟が合流してきて2人で夕食に出かける。食事は隣町の人気店で昔からあるが私にとって初めてで、弟のガイドを受けながら、食を楽しむ。食事を終えると、ドライブ、北九州市内のドライブは懐かしさも相まって、実に楽しい。特に夜景&海というのは北九州の魅力だ。

暴行と暴言の少年時代の兄弟関係を思い出すと、いつしか兄も弟も50代、40代になり、お互い、子を持つ父となり、仕事の話や、子育ての話や、家族、親族の話をする。

兄弟とは言え、こういう時間を持つことは大切だと感じる。

22:30
ドライブを終え、北九州から
久留米へ向けて帰宅する。
高速道路で帰宅すれば約90
分近くの所要時間だ。
途中のパーキングエリア、
サービスエリア、高速道路の
左端には、大量の大型トラック
がハザードランプ点けて、停
車している。台風の影響で、
物流に生じてることなんだろ
うと推測する。

23:50
久留米到着。帰宅。娘が帰宅してないことを妻から聞く。友だち6人と花火で遊んでるとのこと。娘に電話を入れ、少々キレ気味の感情を伝え、迎えに行く。
8/24 0:00 を過ぎていた。
雨、深夜、女子6人、
ウチの娘以外の親たちの神経を理解できない、怒りもこみあげる。しかし、子どもとはいえ、もう20歳なのに過干渉ではないか…とも思う。自宅の駐車場で、30分ほどだが、娘とじっくり話をした。こういう機会は逃さない方がいいと私は思う。確かに、そんなこんなの繰り返しで、20歳になったのだなぁと。

そういえば、『24』のジャックバウアーにも、キムという娘がいて、どんなテロにも屈せず、任務遂行のためなら何でもやるジャックバウアーパパは、娘のキムには、お手上げだった。

こうして、1日を終える私にとって明日は長い1日になりそうだ…

24:59

25:00


パパ~たまには父の人生を知っていくのもいいかもしれない【第220回】

目安時間:約 5分

今日は日本では父の日です。

少し映画の話をば。『クレヨンしんちゃん•モーレツオトナ帝国の逆襲』で、子どもを連れて鑑賞に来たお父さんたちが劇場で落涙したというのは有名な話です。父ちゃん野原ひろしの若きが描かれているシーンです。

私が小学生の時に少々、トラウマになっている作品があります。それは、『衝動殺人 息子よ!』です。私の故郷、北九州若松も出てきます。 この作品は実話をベースにしていて、息子を(田中健)衝動殺人で突然、失ってしまった、両親(父→若山富三郎•母→高峰秀子)の苦悩を描いてて、小学生ながらに号泣したことを思い出します。もう今は怖くて観れないかもしれません。

名監督 是枝裕和の愛弟子、砂田麻美 監督の実父の終活の1年を撮ったドキュメント『エンディングノート』これは劇場で声を出して、泣いてしまった。

映画ではありませんが、何かと『北の国から』を観ます。どのエピソードを観ても号泣します。まぁ、特に『84 夏』『87 初恋』は。

人それぞれの父観というのはあるだろうが、私の心の琴線に触れるであろう涙するのは…思うに、父は強い、その強さとは、 権力や財力や地位や腕力ではなく、家族への愛、地味で、弱く、さえない、財力も地位もない、でも、父は家族のために、日々、闘っている。誰に知られることもなく…

映画やドラマとはいえ、落涙するのは、自分がきっと愛されて育ってきたからだろうと思う。

私の父は1935年に生まれ、2012年に他界した。高度経済成長期にモーレツに働き、バブルが弾けた後、定年退職を迎えた。的確な表現が難しいが、家庭を省みない、仕事の鬼といったイメージだろうか、なので、温かいパパというよりは、怖い厳格なオヤジという感覚だった。

なので、父の晩年の姿は、意外な場面の連続だった。孫を可愛がる姿もそうだったが、アルコールによって身体が崩壊していく姿だ。側にいた母や弟のことを思うと頭が上がらない、苦労してきたと思う。

そのことを前提とした上で記すが、偽善っぽいのだが、この父の壊れていく姿は、悲しくもあり、でも、人間としての父を見ているようだった。社会的ステータスや財力や、仕事の能力など、全く不要、無用、、記憶はなくなり、自分が誰か、家族が誰かもわからなくなり、最初は、アルツハイマーと言われたがこれは、アルコール依存に近い人が知っておいても参考になるかもしれないが、父は飲酒が激しくなった結果、肝臓と腎臓をやられてしまった…その結果、アンモニアを分解できなくなり、濾過されない尿が排泄されることになる、それがいかに毒性の強いものなのかを知らされることになった。 そしてそのアンモニアが血流で脳へ流れこんだということを、私は友達の看護師から知らせれることになる…嫌な表現だが、脳に直接、毒薬を注入されているようなことが起きていたのだ。

でも、父は父なのだ。この父の激動の日々のおかげで、今日の私がいるのだ。父とは話をしてきたつもりだが、まぁ、つもりだから、殆んど話していないだろう…激動の高度経済期の時や、その後、そして定年退職後、どんな心中か、私は察するだけで、知らないまま父を天国へ見送った。

そんな私も今は51歳。娘は今年の夏で20歳になる。父の日に、プレゼントされることは、普通に嬉しいし、それが、どんなものであっても普通に嬉しい。しかし、娘の心中はわからない。

でも、私の中では、誕生日や父の日といったイベントは特別ではなく、積み重ねてきた日々が宝だと純粋に思う。

私がラッキーだったのは、保育園、小学校、中学校、高校、部活、塾、それらの送迎を出来たことだ。時間もわずかな時間でも、その時間が捻出できたことを心から感謝している。その10数年間は大きく深い。

遊園地やテーマパークや海外も、ほとんど連れて行けなかったが、受験期に向かう時のスタバや、劇場で映画を一緒に観たことは、スペシャルなイベントだと思う。まぁ、それは私の一方的な思いなんだけれど。


ロン~たまには麻雀するのもいいかもしれない【第218回】

目安時間:約 4分

小島武夫さんが亡くなられた。Mr.麻雀と呼ばれた方だ。ご冥福をお祈りします。

不思議なもので、今は便利な時代で、YouTubeなどで、麻雀の動画を観ることができ、特に〝役満〟をアガるシーン、1動画を数分間で、観れるとは私の世代では夢のような話だ。何が不思議かというと、ここ数ヶ月、数多い動画の中でもお気に入りが、《小島武夫が九蓮宝燈をツモ る動画だった》わずか3分ほどで、親の役満をアガるという鳥肌映像だ。

麻雀に関心ない方は、何のことやら、さっぱりわからんことだろう。またギャンブルとしての悪いイメージを抱く方も多いかも知れない。しかし、私が麻雀が好きで、できるならば関心をもっていただければと思うのは、下記の観点だ。1•運の流れがよくわかる。2•判断力がつく。3•他の3人のプレイヤーを観察し、配慮するので、利己→利他というシフトになる。

〝何をどうやってもどうにもならないことがあるのだなぁ〟〝こんな奇跡的なことって、 起こるんだなぁ〟

といったことを学び、実感するのだが、その上記3点をクリアーにしていくためには、何といっても、4•セルフコントロールの要求。が問われる。特に感情の。

私は中学3年の頃に麻雀に出逢ったわけだが、ラッキーだったことは(あくまで私にとってですよ)、賭けが無かったことだ。カモられたり、ギャンブルとして心身を崩すようなことが無かったことだ。

「ちみねぇ、そんなので麻雀が好きなんて言えないよ」と言われる方もいるだろうが破産、破綻、家族離散、そういった方々を多く見てきた。

私にとっての麻雀における3段階というのは、始めだした頃に、阿佐田哲也の著書を読み始めた。 代表作は、『麻雀放浪記』である。※映画化もされるが、後に、少年マガジンで、『哲也』として連載され人気作品となった。

第2段階では、麻雀の月刊漫画誌を読み、そこで、福本伸行作品や、かわぐちかいじ作品と出逢うことになる。中でも、かわぐちかいじ作品の名作『はっぽうやぶれ』は小島武夫を主人公とした作品。そのキャラの描かれ方、麻雀新撰組のエピソードなどにはメロメロになってしまったものだ。この頃の私は、自分がアガッた手牌をノートに付けたり、上記のような著書の名セリフなどを書き写したり、切り抜いて貼ったりしていた。私にとってそんな記憶は鮮明だが、中間試験や期末試験の記憶は全くない。

第3段階では、30歳過ぎてからの、桜井章一と雀鬼会に出逢った。この世界には、完全に目からウロコだった。仕事に面でも大きく役立った。

今年の5月の末に小島武夫は82歳で亡くなられた。最近の動画でも、とてもそんな高齢には見えないし、私の意識の中では、博多で大暴れして東京にやって来る『はっぽうやぶれ』の小島武夫が目に浮かぶ…

さようなら、Mr.麻雀。


ヴォーチェ~たまにはSNSではなく話をするのもいいかもしれない【第217回】

目安時間:約 5分

人の生命力やエネルギーは、目や声で伝わってくる。赤ちゃんが産まれた時には、まず泣き声で自分の誕生と存在を伝えてくる。

闘病生活している母に電話を入れると、第一声が不安を感じさせるような声だったりする。そういう時、配慮したりすることも大切…「きつくて、喋るのも、、 やっとなんよ…はぁ…」なんてのが第一声だったりするとねぇ、しかし、やはり電話することは、もっと意義深いことだと感じる…そこから、どれほどキツいかの話をし出すのだが、20分30分と話しが止まらない。聞く内容そのものは、困難に直面していることだが、一方的に話すのを聞いていると、明らかに声のトーンやテンポが変わっていることが分かる。

これは病気を治しているとかそういうことを言いたいのではなく、【話すこと】というのはとても大事なことなんだなぁということ。

年間で孤独死無縁死が3万人という日本。ひとりで、仕事もなく、好きなこともそれほど無く(というよりお金無くてできない)、テレビとかを1日中見てると、やっぱ病気にもなるし、老化も激しくなるだろう…

自殺が年間3万人離婚率は40%やっぱ、それは会話が鍵だと思うんだよね。いくらネットやSNSあれど、話をすることには勝てないかと…いくら、時代が変わっていくとは言え、現時点ではおじいちゃんおばあちゃん世代は、対応できない。SNSに対応できない、おじいちゃん、おばあちゃんの前で孫が話ぜす、スマホいじってる姿は悲しい感じだ。

電脳世界になり、無線で、オンラインでテレパシーのように会話ができるんやでぇってなことも否定する気はないが、人間には〝声〟というものがある。声があるのに、声で伝えないというのは、いかがなものかと思ったりもする。

ドームコンサートで無音だけど電脳で爆音感じてますからとかは、やっぱ気持ち悪い。

最近、やたらと黒澤明 作品や小津安二郎 作品を観るのだが、日本語の会話の温かさを感じたいんだと思う。てか、感じている。

友人知人のお見舞いに行く機会も多くなってきた。何をどうすることも出来ないし、短時間、顔を出して他愛もない話をするだけだが、人のエナジーというのは、目や言葉から波動が伝わってくる。手のひらからも、かなりのエナジーが出るそうなので、スキンシップがいかに大きな効果があるかということだ。

友人と入院中の共通の友人にお見舞いに行ったが、かなり苦しい状態だった。声もほぼ出ず、歩くこともままならない、、ところが、 私じゃないもうひとりの方の友人と入院中の友人の共通点は〝剣道〟の有段者ということ。

ちなみに私は剣道未経験者だが、何故か友人に剣道有段者が多く、話を聞いてるだけでもかなり楽しい。

あれ、危ないんじゃないか、今日は来ない方がよかったのかもしれない…とか思っていたが、この2人が剣道の話をしていると、20分、30分と話が終わるどころか、弾んでいるのが、よく分かる。

入院中の友人の目に光が点るのが、わかる。 声に覇気が出てくるのもわかる。人間ってのは不思議なものだ。

自分の好きな世界を話せる共通の人がいると、そして、思う存分、話をするとかなりの治癒になるだろう。病院や医療の世界もそんなシステムを導入していけば、相当の経費削減になるかもしれない。

目には光言葉には覇気人は会話やスキンシップでエナジーがチャージされていく。ウソかマコトか、かのマザーテレサは、日本に2回来日されたことがあるが、2回とも、涙を流して帰国されたという話を聞いたことがある。〝目が死んでいる〟というのだ。

私たちは、何が生きてることで何が死んでいることか、なんてのは、よくわからないのだが、しかし、それはそれで悲しいことで、とりわけ、家族の中で、目や言葉から、伝えんとすることを、拾えないのは、切ない…マザーテレサの涙は、そのことを伝えたかったのかもしれない。


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