フォトンベルト?~たまには事実のみを伝えるのもいいのかもしれない【第226回】

目安時間:約 3分

7月5日、7月6日と北部九州を大雨が襲う。ちょうど一年前の同じ日、朝倉市、日田市の水害があった日だ。

雨は止むことなく、豪雨レベルの雨は久留米市で降り続ける。私は妻を職場まで車で乗せて行き、自分の職場へと向かった。 雨は止むことなく、職場の雰囲気も午後からは、ざわつく…同日、麻原彰晃の死刑執行日というビックニュースもあったが、北部九州、西日本の雨への警戒のニュースがメインとなっている様子だ。

仕事関連の仲間から、夕刻近く、小郡市のイオンモールの駐車場で車が多く水没している写真がメールで送られてくる。この写メで一気に、深刻さが増した。

夕刻、妻を迎えに行く。娘は大学も休み、バイトも休みということで、一安心。妻を車に乗せ、帰路に着くが、どの道路も大渋滞。高速道路も閉鎖、鉄道も大きくダイヤが乱れてる。妻の職場を17:00過ぎに出発。

通常なら、妻の職場から我が家までは、車で約20分。7月6日、この日は3時間かかった。困ったのが、途中、尿意が催してくることだった。渋滞で車は進まず、途中、コンビニなども無さそうな状況が続く。

車中でも、何度もスマホから災害警報のメロディが流れる。車中では、妻と、ずっと話していた。 私のスマホには、心配している親族、友人知人から電話やメールが入ってきて、その対応をする。

国道3号線を走る。と言っても、明らかに歩く方が速い。19:40過ぎた頃、筑後川の上の橋を渡る、と言っても、低速と停止の繰り返しなので筑後川をじっくりと見る。

かなりの水位だ。危険度を感じる。

家に到着した。この帰路の3時間、雨は止むことはなかった、しかも豪雨である。

そして、今、この記事を書いているのは、明けて7月7日の午前1:23。ただ純粋に、祈る気持ちだ、〝雨よ止んでくれ〟〝筑後川よ氾濫しないでくれ〟人間は非力で無力、自然には逆らえない、どうすることもできない。そんなことは認めてるし、考えて論じるよりも、祈りの気持ちが大きく上回る。


ディスコネクト~たまには配信を止めるのもいいかもしれない【第222回】

目安時間:約 3分

大阪で地震が起きた。親戚や友人に連絡を取ると、皆、明るく元気な声で無事を伝えてくれた。

大事に至らなかったことに感謝します、と同時に恐れも抱いてしまう。

私は福岡県久留米市に住んでいるので、地震といえば、福岡西方沖地震と熊本地震で地震を体験した。その恐怖は、残りつづけている。阪神淡路大震災、東日本大震災の映像や情報を直視することも出来ないし、想像するだけでも、震えてしまう。

被災されながらも強く生きる人たち、被災地に直行し、救助、援助する人たちを心から尊敬する。年月をかけて、復旧していく街やシステムを見てると、敬意を抱く。神戸に拠点に置くオリックスが日本シリーズで優勝し、仙台に拠点を置くイーグルスが日本シリーズで優勝する。人間には、こんなドラマがあるのだと感動する。

私は、基本的には、インスタやフェイスブックで、ほぼ毎日、発信しているし、このようにメルマガも週2回、配信している。

大阪での地震の時はSNSでの発信をやめた。映画や読書や食事をアップする気にならないだけだ。そこにいろいろ定義やルールは持ち込みにくい…が、ここ数年で、何度もそういうことはあった。世界では、悲惨なことが毎日起きているじゃないか!その悲惨なことと大阪の地震の差は何なのか⁈という声はいちいち届きはしないが、その差は説明できないし、では、SNSでの発信は全てやめるかというと、それはやめない。

そういった状態を矛盾とか偽善と言われても、何も言い返す気にもならない。

こういう世界は100人いたら100通りの考えと表現があるだろう。地震で怯えてる人たちがいても、何を食った美味い!こんな食べ方あんな食べ方に挑戦!みたいな動画をアップするユーチューバーたちの心境を理解できない。

しかしもう、そこはとやかく言えない。私も呑気にメルマガを配信しているのだから…SNSで多くに発信し、多くと繋がっているはずだろうに、こんな無神経動画をアップするというのは、人間は繋がっていないんだろうと感したりする。何ともややこしい世界になっている気もする。

大阪地震の当日や、翌日に、YouTubeで視聴数が上昇していたのが、誰かも知らんが予言者が6月21日に、日本に大地震が来る!というものだった。

視聴数が多いということも、複雑な気持ちだが、何よりこのタイミングで、こういう動画をアップするという神経が理解できない。お前誰なんだよ⁈予言者ってまた、この動画をアップしているの、誰なんだよ⁈

仮に、その予言が当たったとして、誰が得するの?マーーーーーーヂで、誰も得しないよ、そんなの。


パパ~たまには父の人生を知っていくのもいいかもしれない【第220回】

目安時間:約 5分

今日は日本では父の日です。

少し映画の話をば。『クレヨンしんちゃん•モーレツオトナ帝国の逆襲』で、子どもを連れて鑑賞に来たお父さんたちが劇場で落涙したというのは有名な話です。父ちゃん野原ひろしの若きが描かれているシーンです。

私が小学生の時に少々、トラウマになっている作品があります。それは、『衝動殺人 息子よ!』です。私の故郷、北九州若松も出てきます。 この作品は実話をベースにしていて、息子を(田中健)衝動殺人で突然、失ってしまった、両親(父→若山富三郎•母→高峰秀子)の苦悩を描いてて、小学生ながらに号泣したことを思い出します。もう今は怖くて観れないかもしれません。

名監督 是枝裕和の愛弟子、砂田麻美 監督の実父の終活の1年を撮ったドキュメント『エンディングノート』これは劇場で声を出して、泣いてしまった。

映画ではありませんが、何かと『北の国から』を観ます。どのエピソードを観ても号泣します。まぁ、特に『84 夏』『87 初恋』は。

人それぞれの父観というのはあるだろうが、私の心の琴線に触れるであろう涙するのは…思うに、父は強い、その強さとは、 権力や財力や地位や腕力ではなく、家族への愛、地味で、弱く、さえない、財力も地位もない、でも、父は家族のために、日々、闘っている。誰に知られることもなく…

映画やドラマとはいえ、落涙するのは、自分がきっと愛されて育ってきたからだろうと思う。

私の父は1935年に生まれ、2012年に他界した。高度経済成長期にモーレツに働き、バブルが弾けた後、定年退職を迎えた。的確な表現が難しいが、家庭を省みない、仕事の鬼といったイメージだろうか、なので、温かいパパというよりは、怖い厳格なオヤジという感覚だった。

なので、父の晩年の姿は、意外な場面の連続だった。孫を可愛がる姿もそうだったが、アルコールによって身体が崩壊していく姿だ。側にいた母や弟のことを思うと頭が上がらない、苦労してきたと思う。

そのことを前提とした上で記すが、偽善っぽいのだが、この父の壊れていく姿は、悲しくもあり、でも、人間としての父を見ているようだった。社会的ステータスや財力や、仕事の能力など、全く不要、無用、、記憶はなくなり、自分が誰か、家族が誰かもわからなくなり、最初は、アルツハイマーと言われたがこれは、アルコール依存に近い人が知っておいても参考になるかもしれないが、父は飲酒が激しくなった結果、肝臓と腎臓をやられてしまった…その結果、アンモニアを分解できなくなり、濾過されない尿が排泄されることになる、それがいかに毒性の強いものなのかを知らされることになった。 そしてそのアンモニアが血流で脳へ流れこんだということを、私は友達の看護師から知らせれることになる…嫌な表現だが、脳に直接、毒薬を注入されているようなことが起きていたのだ。

でも、父は父なのだ。この父の激動の日々のおかげで、今日の私がいるのだ。父とは話をしてきたつもりだが、まぁ、つもりだから、殆んど話していないだろう…激動の高度経済期の時や、その後、そして定年退職後、どんな心中か、私は察するだけで、知らないまま父を天国へ見送った。

そんな私も今は51歳。娘は今年の夏で20歳になる。父の日に、プレゼントされることは、普通に嬉しいし、それが、どんなものであっても普通に嬉しい。しかし、娘の心中はわからない。

でも、私の中では、誕生日や父の日といったイベントは特別ではなく、積み重ねてきた日々が宝だと純粋に思う。

私がラッキーだったのは、保育園、小学校、中学校、高校、部活、塾、それらの送迎を出来たことだ。時間もわずかな時間でも、その時間が捻出できたことを心から感謝している。その10数年間は大きく深い。

遊園地やテーマパークや海外も、ほとんど連れて行けなかったが、受験期に向かう時のスタバや、劇場で映画を一緒に観たことは、スペシャルなイベントだと思う。まぁ、それは私の一方的な思いなんだけれど。


ロン~たまには麻雀するのもいいかもしれない【第218回】

目安時間:約 4分

小島武夫さんが亡くなられた。Mr.麻雀と呼ばれた方だ。ご冥福をお祈りします。

不思議なもので、今は便利な時代で、YouTubeなどで、麻雀の動画を観ることができ、特に〝役満〟をアガるシーン、1動画を数分間で、観れるとは私の世代では夢のような話だ。何が不思議かというと、ここ数ヶ月、数多い動画の中でもお気に入りが、《小島武夫が九蓮宝燈をツモ る動画だった》わずか3分ほどで、親の役満をアガるという鳥肌映像だ。

麻雀に関心ない方は、何のことやら、さっぱりわからんことだろう。またギャンブルとしての悪いイメージを抱く方も多いかも知れない。しかし、私が麻雀が好きで、できるならば関心をもっていただければと思うのは、下記の観点だ。1•運の流れがよくわかる。2•判断力がつく。3•他の3人のプレイヤーを観察し、配慮するので、利己→利他というシフトになる。

〝何をどうやってもどうにもならないことがあるのだなぁ〟〝こんな奇跡的なことって、 起こるんだなぁ〟

といったことを学び、実感するのだが、その上記3点をクリアーにしていくためには、何といっても、4•セルフコントロールの要求。が問われる。特に感情の。

私は中学3年の頃に麻雀に出逢ったわけだが、ラッキーだったことは(あくまで私にとってですよ)、賭けが無かったことだ。カモられたり、ギャンブルとして心身を崩すようなことが無かったことだ。

「ちみねぇ、そんなので麻雀が好きなんて言えないよ」と言われる方もいるだろうが破産、破綻、家族離散、そういった方々を多く見てきた。

私にとっての麻雀における3段階というのは、始めだした頃に、阿佐田哲也の著書を読み始めた。 代表作は、『麻雀放浪記』である。※映画化もされるが、後に、少年マガジンで、『哲也』として連載され人気作品となった。

第2段階では、麻雀の月刊漫画誌を読み、そこで、福本伸行作品や、かわぐちかいじ作品と出逢うことになる。中でも、かわぐちかいじ作品の名作『はっぽうやぶれ』は小島武夫を主人公とした作品。そのキャラの描かれ方、麻雀新撰組のエピソードなどにはメロメロになってしまったものだ。この頃の私は、自分がアガッた手牌をノートに付けたり、上記のような著書の名セリフなどを書き写したり、切り抜いて貼ったりしていた。私にとってそんな記憶は鮮明だが、中間試験や期末試験の記憶は全くない。

第3段階では、30歳過ぎてからの、桜井章一と雀鬼会に出逢った。この世界には、完全に目からウロコだった。仕事に面でも大きく役立った。

今年の5月の末に小島武夫は82歳で亡くなられた。最近の動画でも、とてもそんな高齢には見えないし、私の意識の中では、博多で大暴れして東京にやって来る『はっぽうやぶれ』の小島武夫が目に浮かぶ…

さようなら、Mr.麻雀。


ヴォーチェ~たまにはSNSではなく話をするのもいいかもしれない【第217回】

目安時間:約 5分

人の生命力やエネルギーは、目や声で伝わってくる。赤ちゃんが産まれた時には、まず泣き声で自分の誕生と存在を伝えてくる。

闘病生活している母に電話を入れると、第一声が不安を感じさせるような声だったりする。そういう時、配慮したりすることも大切…「きつくて、喋るのも、、 やっとなんよ…はぁ…」なんてのが第一声だったりするとねぇ、しかし、やはり電話することは、もっと意義深いことだと感じる…そこから、どれほどキツいかの話をし出すのだが、20分30分と話しが止まらない。聞く内容そのものは、困難に直面していることだが、一方的に話すのを聞いていると、明らかに声のトーンやテンポが変わっていることが分かる。

これは病気を治しているとかそういうことを言いたいのではなく、【話すこと】というのはとても大事なことなんだなぁということ。

年間で孤独死無縁死が3万人という日本。ひとりで、仕事もなく、好きなこともそれほど無く(というよりお金無くてできない)、テレビとかを1日中見てると、やっぱ病気にもなるし、老化も激しくなるだろう…

自殺が年間3万人離婚率は40%やっぱ、それは会話が鍵だと思うんだよね。いくらネットやSNSあれど、話をすることには勝てないかと…いくら、時代が変わっていくとは言え、現時点ではおじいちゃんおばあちゃん世代は、対応できない。SNSに対応できない、おじいちゃん、おばあちゃんの前で孫が話ぜす、スマホいじってる姿は悲しい感じだ。

電脳世界になり、無線で、オンラインでテレパシーのように会話ができるんやでぇってなことも否定する気はないが、人間には〝声〟というものがある。声があるのに、声で伝えないというのは、いかがなものかと思ったりもする。

ドームコンサートで無音だけど電脳で爆音感じてますからとかは、やっぱ気持ち悪い。

最近、やたらと黒澤明 作品や小津安二郎 作品を観るのだが、日本語の会話の温かさを感じたいんだと思う。てか、感じている。

友人知人のお見舞いに行く機会も多くなってきた。何をどうすることも出来ないし、短時間、顔を出して他愛もない話をするだけだが、人のエナジーというのは、目や言葉から波動が伝わってくる。手のひらからも、かなりのエナジーが出るそうなので、スキンシップがいかに大きな効果があるかということだ。

友人と入院中の共通の友人にお見舞いに行ったが、かなり苦しい状態だった。声もほぼ出ず、歩くこともままならない、、ところが、 私じゃないもうひとりの方の友人と入院中の友人の共通点は〝剣道〟の有段者ということ。

ちなみに私は剣道未経験者だが、何故か友人に剣道有段者が多く、話を聞いてるだけでもかなり楽しい。

あれ、危ないんじゃないか、今日は来ない方がよかったのかもしれない…とか思っていたが、この2人が剣道の話をしていると、20分、30分と話が終わるどころか、弾んでいるのが、よく分かる。

入院中の友人の目に光が点るのが、わかる。 声に覇気が出てくるのもわかる。人間ってのは不思議なものだ。

自分の好きな世界を話せる共通の人がいると、そして、思う存分、話をするとかなりの治癒になるだろう。病院や医療の世界もそんなシステムを導入していけば、相当の経費削減になるかもしれない。

目には光言葉には覇気人は会話やスキンシップでエナジーがチャージされていく。ウソかマコトか、かのマザーテレサは、日本に2回来日されたことがあるが、2回とも、涙を流して帰国されたという話を聞いたことがある。〝目が死んでいる〟というのだ。

私たちは、何が生きてることで何が死んでいることか、なんてのは、よくわからないのだが、しかし、それはそれで悲しいことで、とりわけ、家族の中で、目や言葉から、伝えんとすることを、拾えないのは、切ない…マザーテレサの涙は、そのことを伝えたかったのかもしれない。


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